『メディア技術史―デジタル社会の系譜と行方』ができました

2013年10月、飯田豊(編著)『メディア技術史―デジタル社会の系譜と行方』(北樹出版、2013年)が発行されました。

メディア技術史―デジタル社会の系譜と行方
飯田 豊 大久保 遼 木暮 祐一 柴野 京子 杉本 達應 谷口 文和 溝尻 真也 和田 敬
北樹出版
売り上げランキング: 16,931

本書は、書物や写真、映画などさまざまなメディア技術の成り立ちを学ぶためのテキストです。
杉本は、第8章(コンピュータ)、第9章(インターネット)、カバーデザインを担当しました。

くわしくはこちらをご覧ください。

夏休みに読みたい本

こどもの世界では、夏休みといえば読書らしいですね。さいきん読んだ本のなかで夏休みに読みたい本として、つぎの2冊をおすすめします。どちらも小学生の視点で書かれた物語ですが、大人が読んでもおもしろいですよ。

『ハブテトル ハブテトラン』は、東京から母の実家のまちに転校した男の子のおはなし。舞台は広島県福山市松永で、福山在住の自分にとってはご当地モノでした。こちらに引っ越してきて以来、気に入っているおだやかな瀬戸内の海の風景がつたわってきます。

ハブテトル ハブテトラン
中島 京子
ポプラ社
売り上げランキング: 255508

『キッドナップ・ツアー』は、おとうさんにユウカイされた女の子のおはなし。課題図書みたいな説教臭さがないのがお気に入りです。

キッドナップ・ツアー (新潮文庫)
角田 光代
新潮社
売り上げランキング: 38466

Kindle 3/電子書籍リーダーはだれのため?

先日、Kindle 3 3G+WiFi を買いました。2010年8月下旬に米Amazon.comに注文し、約2週間で届きました。発表時からずいぶん迷いましたが、円高に背中を押されたようなものです。

英語の学習に使えるとか、ソーシャル機能があるとか、Kindleのレビューはたくさんあります。そういったことは置いておいて、ここではごく個人的な感想をまとめておきます。さまざまな機能をすべて使ってみたわけではありません。

結論

はじめに結論を書いておくと、Kindleは「使えません」。買ってしまったからには、強がってでも「使える!」「すごい!」と言いたいところですが(笑)、まだまだ発展途上のデバイスでした。いろいろなメーカーが参入して、選択肢が出そろってから買うのがよいのではないでしょうか。

実は、Kindleを買うにあたって、ある洋書の購入が頭にありました。その本は、Amazon.comで、紙版の半額程度でKindle版が販売されています。それなら、おトクなKindle版を購入してみようと考えました。しかし、Kindleをさわっていると、不思議なことに紙の本の良さが際立ってくるのです。結局、その本はKindle版ではなく紙版のほうが良いことがわかったので、紙版を注文することにしました。もちろん本の性格によっては、Kindle版を選択することもありえます。

Kindleを使うと、ふだんつきあっている「紙の本」が相当便利だということに気がつきます。数百年かけて進化した書籍というパッケージが、そう簡単に置き換えられるとは思えません。もちろん電子書籍にも、電子版なりの良さがあります。ただ、今年はとくに電子書籍に関しては、ビジネス的な喧伝や脅威論が目立っていて、紙の本の良さを冷静に見る視点を欠いています。これからは、本の性格によって、紙版と電子版のそれぞれの良さをいかした棲み分けが徐々に進んでいく気がします。

電子ペーパー

Kindleは、画面にE Ink社の電子ペーパーを採用しているのが最大の特徴です。この電子ペーパーには、メリットとデメリットがあって、それがそのままKindleでの読書体験に影響を与えています。

電子ペーパーのメリットは、液晶のように発光していないので、目にやさしく文字が読みやすいことです。直射日光の下でも、読みづらくなることはありません。反対に、暗闇のなかではまったく読めません。このあたりは、紙の本とおなじです。

文字だけでなく、イラストもきれいに表示できます。マンガには最適かもしれません。スクリーンセーバーでさまざまな文豪の肖像画が表示されますが、とてもきれいです。

Kindleの電子ペーパーのデメリットは、カラー表示ができないことと、ページの書き換えが必要なことです。ページの書き換えとは、ページをめくるたびに、画面全体が反転して表示をリセットすることです。このとき画面全体が、黒くちらついてしまいます。書き換え時間は一瞬なので、ゆっくり読んでいるときには、さほど気になりません。ところが本全体を速読・ななめ読みしようと、ページを素早くめくろうとすると、そのスピードに追いつくことができないので、ストレスを感じます。

Webブラウザを使っているときなど、ときどきこの書き換え処理が十分になされず、以前のページがうっすら残って見えることがあります。履歴が積み重なっていく独特の「残像効果」は、視覚的になかなか面白く、「いい味」を出しています。とてもデジタル機器とは思えないアナログ感がにじみでていて、なつかしい感じです。まるで、こどものときに使った、繰り返し描けるお絵描きボードの「せんせい」のようです。ちょっとマニアックな見方ですが、きっと、この残像効果をつかって、Kindleでしか見ることのできない作品がつくられることでしょう。

操作性

Kindleは、左右についているページ移動のボタンと下部に配置されている小さなキーボードで操作します。左右のボタンは大きく、迷わず押せるのはよいのですが、持つ場所に困ります。キーボードは、なんと数字キーが省略されてしまっています。画面は、日本語表示には対応していますが、インタフェースは英語です。iPhoneやiPadに慣れていると、つい画面を指でさわってしまいます。操作性に関しては、改善の余地がありそうです。

Kindleでは、PDFを読むこともできます。ただしKindle向けにサイズが最適化されたものでないと、狭くて読みづらいです。A4サイズのPDFを読むには、Kindle DXくらいの画面サイズがほしいところですが、DXだと重いんですよね。大きなサイズのPDFを読むときには、ページ内を拡大表示できます。でもスクロールするたびに、画面の書き換えが発生してしまい、実用的ではありません。裁断・スキャンした「自炊」の本も、文字の大きさによっては読みづらいと思います。

ネットワーク機能

Kindleには、Webブラウザが内蔵されています。将来はわかりませんが、現時点では無料で3G経由でWebにアクセスできるようです。ただしWebブラウザは、あくまで「実験機能」の一つです。読み込みスピードも遅く、使い勝手はよくありません。

3G機能があれば、どこでもインターネットに接続することができます。しかしKindleは、あくまで読書の道具です。読書中にはインターネットを使う必要はないので、3G機能は余計なものという感じがします。ふだん使う場所にWi-Fiがあれば、Wi-Fi版で十分です。

Wi-Fi接続には、問題がありました。自宅のTime Capsule(セキュリティはWPA2)には何度接続してもうまくいかないのです。DHCPではなく、IP直接指定の設定にしても接続できませんでした。パスワードを変えて試せば、うまくいったかもしれませんが、そこまではしていません。このルータに接続できない機器はKindleだけなので、Kindle側の制約か不具合ではないかと思います。

電子書籍リーダーはだれのため?

現在、日本語Kindleストアは登場していないので、Kindle経由では日本語の書籍や新聞を購入することができません。それはさておき、Kindleのような電子書籍リーダーは、どんな人にとって便利でしょうか。

(1) 旅が多いひと
移動中や旅先に読む本や雑誌を、リーダーひとつに集約できると、ずいぶん身軽になれそうです。

(2) 田舎のひと
旅先にも通じますが、電子書籍リーダーの恩恵を受けるのは、田舎に住む人ではないでしょうか。都会の人は、Kindleがなくても十分便利な生活を送れます。駅の売店で新聞雑誌を買い、書店で話題の新刊を立ち読みし、興味があれば買って、読んでいらなくなったら古本屋に売ればいいのです。なにも、わざわざ電子書籍にシフトする必要はありません。

しかし、ある程度の田舎に住んでいると、紙の本に囲まれた生活ができません。書店がなく、新刊書籍に簡単にふれることができないような町に住む人にこそ、電子書籍リーダーは福音をもたらしてくれそうです。

そういえば1990年代はじめ、田舎に住んでいた高校生だったわたしは、クロネコブックサービスを使って本を取り寄せていたことを思い出しました。当時は、家庭向けのインターネットもAmazonもありませんでした。あのとき、Kindleがあれば、きっと活用していたでしょう。

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常識外れの人びと

広島市現代美術館の特別展「HEAVEN 都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン」に、会期最後の週末にすべりこみました。実は広島県に引っ越してきて、はじめての広島訪問です。広島に来たのは、なんと中学生の修学旅行以来です。

広島市現代美術館は、比治山下電停から坂道をのぼった比治山公園の中にありました。以前から、この美術館のシンボルマークが何をあらわしているのか分からなかったのですが、電停を降りた瞬間に理解できました! これには比治山のなかにある美術館へたどる坂道が描かれていたのですね。

会場は写真撮影可能でした。わたしは写真を撮らなかったので残念ながらここは写真なしですが、展示室の様子を知りたい方は、ぜひ検索してみてください。写真つきのブログがたくさんみつかりますよ。

都築響一は、「珍日本紀行」や「賃貸宇宙」、「ラブホテル」など、これまで正面きって取り上げられることのなかったスポットや「常識外れの人びと」を追いかけている写真家、編集者です。会場入口の壁一面に、次のメッセージが大きくはりだされていました。

僕はジャーナリストだ。アーティストじゃない。

ジャーナリストの仕事とは、最前線にいつづけることだ。そして戦争の最前線が大統領執務室ではなく泥にまみれた大地にあるように、アートの最前線は美術館や美術大学ではなく、天才とクズと、真実とハッタリがからみあうストリートにある。

ほんとうに新しいなにかに出会ったとき、人はすぐさまそれを美しいとか、優れているとか評価できはしない。最高なのか最低なのか判断できないけれど、こころの内側を逆撫でされたような、いても立ってもいられない気持ちにさせられる、なにか。評論家が司令部で戦況を読み解く人間だとしたら、ジャーナリストは泥まみれになりながら、そんな「わけがわからないけど気になってしょうがないもの」に突っ込んでいく一兵卒なのだろう。戦場で兵士が命を落とすように、そこでは勘違いしたジャーナリストが仕事生命を危険にさらす。でも解釈を許さない生のリアリティは、最前線にしかありえない。そして日本の最前線=ストリートはつねに発情しているのだし、発情する日本のストリートは「わけがわからないけど気になってしょうがないもの」だらけだ。

この展覧会の主役は彼ら、名もないストリートの作り手たちだ。文化的なメディアからはいっさい黙殺されつづけてきた、路傍の天才たちだ。自分たちはアートを作ってるなんて、まったく思ってない彼らのクリエイティヴィティの純度が、いまや美術館を飾るアーティストの「作品」よりもはるかに、僕らの眼とこころに突き刺さってくるのは、どういうことなのだろう。アートじゃないはずのものが、はるかにアーティスティックに見えてしまうのは、なぜなんだろう。

僕の写真、僕の本はそんな彼らを記録し、後の世に伝える道具に過ぎない。これからお目にかける写真がどう撮られたかではなく、なにが写っているかを見ていただけたら幸いである。

これは発情する最前線からの緊急報なのだから。

展覧会解説ブログ・サイトより
http://hiroshimaheaven.blogspot.com/

会場は、これまでの都築響一の仕事のシリーズが展示してあります。その意味では都築響一の著作からの抜粋でしかないともいえますが、美術館の空間をいかした展示には雑誌や本のページとは違った味わいがありました。また、本展覧会独自の内容もありました。独自展示のひとつは、広島の人はみんな知っている(らしい!?)地元の有名ホームレース「広島太郎」を取材したものです。そのほかにも、見世物小屋絵看板の実物展示や、カラオケスナックのブース、秘宝館を再現したものもありました。秘宝館だけは、18歳未満お断り。展示室にヌード写真があふれているのに、このゾーンだけ年齢制限を設けているのは、秘宝館への敬意のあらわれでしょうか。秘宝館のなかでは、女性の観客が写真を撮りまくっていたのが印象的でした。

それにしても広島市現代美術館は、特別展「一人快芸術」といい、芸術という枠をこえた企画で異彩を放っている美術館です。

ところで、「常識外れ」といえば、常識を疑う思考を持とうと謳っている本『20歳のときに知っておきたかったこと』が売れています。この本は、読者に常識を疑うことを奨励し米国流の起業家精神を鼓舞する点において、「シリコンバレー流」であり、人生訓をちりばめながら成功の秘訣を説く点においては、巷に溢れている自己啓発本の類と大差ありません。すなわち「シリコンバレー流の自己啓発本」ですから、生活している社会も文化も違う私たちはある程度の距離を持って批判的に読んだほうがいいでしょう。

この本が謳う「常識外れ」は、都築響一が見出した「常識外れ」とは全く異なります。本書の「常識外れ」は、あくまでもビジネス的な成功、つまり金儲けと社会的名声の獲得を目的としているからです。たとえば、こんなエピソードが得々と披露されています。著者は会議のため滞在した北京で、万里の長城で日の出を見るという現地旅行を会議参加者と約束したものの実現が難しく途方に暮れます。ところが偶然出会った中国人学生に大学入試の推薦状を書いてあげることで、引き換えに現地旅行の手配をしてもらったというのです(172-3ページ)。このように、自分の名声のためには、手段を選ばない「なんでもあり」の職権濫用さえ許されてしまうことには、思わずつっこみたくなります。

著者は、多くの有名起業家たちのエピソードから、人生訓を引き出していますが、残念ながらどれも彼らの人生を表面的になぞっているだけで、心に響いてはきませんでした。なぜ今こんな本が日本で売れているのでしょうか。みんな、本書でたびたび引用されているスピーチの主であるスティーブ・ジョブズのような米国流成功者になりたいのかもしれませんね。確かにジョブズは、「常識外れ」でした。本書では触れられていませんが、彼は電話のただがけ装置「ブルーボックス」を売り歩いていたほどクレイジーでした。人間にはいろいろな面があります。しかし本書では、人生の失敗経験さえも成功への道の一つとして語られます。米国の成功者は、どんなエピソードさえも、最終的に自身の成功物語に組み込んでしまうしたたかさを身につけなければならないようです。

一方、都築響一は、商業ライターのトップランナーとはいえません。彼は、雑誌が描きつづける虚構にうんざりしたことを告白しています。雑誌が伝えるような、北欧家具に憧れ、高級外資系ホテルに泊まるようなライフスタイルを、誰もが一様にえらんでいるわけではありません。日常に溢れる生活レベルの文化をすっかり無視して、消費を生み出そうとする虚構だけを繰りだしているメディアの片棒を、彼は担ぎたくなかったのでしょう。それよりも、日本人の日常生活に充満している文化を、カラオケスナックやラブホテルの姿などを通じて伝えていくことに転向したのです。

私たち読者や観客は、都築響一が伝える「常識外れの人びと」を、ひとつの「見世物」として楽しんでいます。常人では達成しえない技への驚きやとまどい、おそれを楽しむという態度は、制度確立以前のアートへ回帰しているようでもあります。「常識外れの人びと」の多くは、有名起業家と違って、生産的ではないし社会的な成功とは無縁です。しかし都築響一は、彼らを奇人変人として軽蔑したり、ネタとして消費しようとするのではなく、私たちと生活文化を共有しているひとつながりの人間として、やさしさに満ちた眼差しを注いでいます。都築響一の視線にうながされて、私たちも「常識外れの人びと」に不思議な共感や親しみを感じてしまいます。ところで、ここで紹介した本を書いたスタンフォードの先生は、都築響一が伝える「常識外れの人びと」を見て、賞賛するでしょうか。おそらく、一瞥するなり、こう叫ぶのではないでしょうか。「クレイジーだ!(成功してないじゃん!)」。

私なら、20歳の人にこうおすすめします。「常識外れ」は大賛成。でも雑誌や自己啓発本に描かれる「常識外れ」は、ある「型」にはまっているおそれがあります。だからどうか、その内容を鵜呑みにしないでほしい。……ちょと天の邪鬼すぎるかしら。

HEAVEN 都築響一と巡る社会の窓から見たニッポン
都築響一
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20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義
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※『20歳のときに知っておきたかったこと』は、ブログエントリーを一つ書くことが条件のキャンペーンの当選品として、阪急コミュニケーションズから提供されたものです。

さよならトーキョー

突然ですが、この春、2年間住んでいた東京をはなれました。ご挨拶できていない方も多くてすみません。2010年4月から、広島県福山市にある福山大学人間文化学部で教員を勤めることになりました。

あっという間の東京生活でした。東京に住む前は、人口密度が高く、せわしない都会に住むことを、ずっとためらっていました。しかし住んでみれば、そのイメージもあっけなくくつがえりました。まさに食わず嫌い、住めば都という言葉を実感しました。東京生活の良いところは、日常生活のさまざまな面で選択肢が幅広く、じぶんの好きなライフスタイルを貫徹できることです。これは、東京に限らず、世界の都市生活に共通する快楽だといえます。

今回、東京をはなれますが、田舎生まれ田舎育ちのわたしにとって、それほど残念な出来事ではありません。ただ、心残りなことが二つあります。

ひとつは、現在ぐんぐん背を伸ばしている東京スカイツリーの成長を見届けることができなくなったことです。ある日、建設中のこのタワーが、自宅から見えるようになりました。それまでツリーの存在は知っていましたが、まったく興味がありませんでした。ところが、自分でもおかしいのですが、視界に入ったとたんに、この巨大な塔が気になる存在になってしまいまいた。ツリーを発見して以来、日々少しずつ成長する様子を遠くから観察することがふだんの生活の楽しみになりました。

もうひとつは、買物のスタイルが大きく変わってしまうことです。東京に引っ越した当初、mixiの日記にこう書いていました。

個人商店がまだ健在なのが嬉しい驚きでした。 徒歩で回れる範囲にいろいろなお店が並んでいます。 私が生まれたところは田舎の商店街ですが、そこの店舗のほとんどが廃業してしまいました。 いまでは買い物は、遠くの大規模ショッピングセンターにクルマで行くしかありません。 それに比べて東京は、ずるいくらい便利です。 だって、都会的なショップと昔ながらの商店街の両面が楽しめるんだもの。 全国平均なブランドが揃うテナントばかりのショッピングセンターに飲み込まれてしまった地方から見ると、うらやましい限りです。

東京に来たとき、いちばん驚いたのは、まだ商店街が生きていたことでした。歩行者と自転車であふれる狭い路地に、八百屋や魚屋、総菜屋、パン屋などが軒を連ねています。商店街で売られている商品は、概して安く、全国各地の生鮮品が豊富に揃っていました。商店街のなかには、個人商店のほかにも、スーパーマーケットもあります。しかし、それは郊外のスーパーとは店構えが異なり、コンパクトに。商店街のなかのスーパーは、店舗面積が限られているため、買物客一人が通り抜けるだけの狭い通路しかありません。

ただ、こうした商店街を持つ町は、東京のなかでも限られたエリアでしかありません。商店街がひしめく町から一歩はなれると、郊外型のスーパーマーケットも幅を利かせています。店舗の前には広大な駐車場がひろがり、ゆったりとした店内通路と陳列棚が備えられています。郊外型スーパーの物価は、商店街とはちがいます。生鮮品は高めで、インスタント食品などのパッケージ商品は安い値段で売られています。こうしたスーパーの値段設定は、物流の条件や地域の顧客のライフスタイルを反映しているといえます。あmた、買物客にとっては、スーパーの値段設定に誘導されて、無意識に商品選択を変化させられているかもしれません。

商店街が繁茂している都心に身を置くと、全国にくまなく広がっている都会的なイメージをまとったファストフード、チェーンストアなどは、けっして都会特有のものではなく、むしろ郊外のためのものだということを思いしらされます。全国的に郊外型スーパーマーケットが隆盛をみせているなか、「都会」である東京だけは、奇妙なことに商店街という「バザール」が生きています。最後に、東京が「バザール都市」であることを再確認させてくれた本を紹介します。

長谷川一『アトラクションの日常』

アトラクションの日常
アトラクションの日常

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長谷川 一
河出書房新社
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ここでは、商店街で「買物する」などのふるまいを「アトラクション」という言葉で浮かび上がらせています。それだけでなく、たくさんの映画や本が魅力的に紹介されています。わたしは、この本で、すっかり日常の経験の見え方が変わってしまいました。本の力を感じた本でした。